男鹿半島の地質を学ぶ
四月六日(火)は、第九回登山入門講座として、男鹿半島の地質を学ぶフィールドワークをおこないました。これまで、山楽会では、読図、気象、植物などの勉強をしましたが、地質、岩石の学習は不十分でした。
いま、男鹿半島、豊川油田、八郎潟にかけての「ジオパーク」(地質遺産公園)構想が、男鹿市を中心にして盛りあがっているといいます。私たちのすぐ身近にあるすぐれた地質的遺産を知ることは、とても有意義なことです。そして、地質や岩石への関心が、私たちの平素の登山にも役立つことも期待されます。
さいわいに、今回は、藤本幸雄さん、夏井興一さんという、最高の「案内人」(講師)を得て、すばらしい講座が開かれました。
一路、
男鹿半島に向かう
参加者は、講師のお二人も入れて、三十九人でした。心配されたお天気は、よく晴れた春日和に恵まれました。秋田駅東口を、七時に出発。
参加者が、ほぼ乗りこんだあたりで、斎藤重一会長のあいさつがあり、案内人の藤本幸雄さんが紹介されました。男鹿市に入り、も一人の案内人である夏井興一さんも一緒になりました。
白い朝霧に
包まれた寒風山
八時過ぎ、脇本・田谷沢の露頭を見ながら、寒風山に登りました。山は、まだ霧がとれず、展望がきかないので、小展望台のほうに立ちました。
藤本さん、夏井さんから、これから一日の男鹿半島の学習についての概要が話されました。とくに、寒風山についての話で、「火の山は、水の山」ということばが、とても印象的でした。
山頂に登る草原の松のなかに、文化大地震、天保大飢饉などの「供養塔」が立ち、これについて、夏井さんから説明がありました。
また、寒風山から東に望まれる天王砂丘の三列の成り立ちについての、興味ぶかい説明もありましたが、霧のために展望がきかず、残念でした。
蛇越長根、
大噴火口を見る
妻恋峠を降りて、板場の台に立ちました。大噴火口(第一噴火口)のほとりの高台から、寒風山の噴火活動を学びました。とくに、妻恋峠から回転展望台に向かう途中にある火口から流出し、大噴火口に流れこんだ玄武岩質熔岩流、熔岩堤防、熔岩しわ、そして、安山岩の熔岩ドーム(鬼の隠れ里)に目を見張りました。何回も何回も同じところを通りながら、いま教えられたような見方ではなかったことが悔やまれます。
安田海岸では、
驚きの連続!
九時三十分、新玉の池のわきを通って、寒風山を下ったバスは、R101に乗って、男鹿半島を一気に横断して、五里合の安田海岸に向かいました。バスを降りて、海岸までの田圃道のかたわらには、フキのとう、オオイヌノフグリなどが花盛りでした。暖かく、春日和です。
海蝕崖を見ます。東から西に、時代の若いほうから、古いほうにと、いくつもの傾斜して重なり合った地層があります。貝化石、火山灰、亜炭などの層があります。火山灰層は、洞爺火山灰、阿蘇火山灰などがあるのには驚いてしまいました。戸賀噴火火山灰もありました。約八万年前から四十五万年前ほどの地層が見られるそうです。いまでは、地層、岩石の生成年代を正確に特定できるそうで、安田海岸の地層めぐりは、まさにタイムマシンを見るようでした。
みごとに傾いた地層の前で、みんなで写真を撮りました。
寒風山は「水の山」
十時三十分、安田海岸から、船川港を抜けて、南磯に回りました。途中、 寒風山の伏流水をたくわえた水源地、滝ノ頭を車中から見ます。ここの水は、男鹿市各地の飲料水や農業用水として、だいじにされているそうです。寒風山には、おもな湧水地だけでも約二十カ所もあるそうで、水温は12℃だそうです。藤本さんのおっしゃるように、まさに「火の山は、水の山」です。
車中で、脇本鮪川層、脇本城、北浦層などの説明がありました。
鵜の崎の浜辺で魚化石
男鹿半島を時計回りに、入道崎まで、地層の時代を古いほうに向かうことにしました。波静かな南磯海岸を走り、鵜ノ崎で浜辺に立ちました。
藤本さんから、足元の女川層の頁岩と、魚化石の話がありました。「運がよければ、魚の骨やサメの歯などの化石も見つかる」と扇動されて、目を皿にして探す人たち。
椿公民館で、
たのしい昼食
十二時、椿公民館の和室を借りて、昼食の休憩をとりました。公民館の庭のウメのつぼみが赤くふくらんでいました。やっぱり、「男鹿の南磯はあたたかいなあ」と、感心しました。ツバキの「北限」というヤブツバキは、赤い花をいっぱいつけていました。
公民館では、ストーブを焚いて待っていてくれました。みんなでテーブルを囲んで、和気あいあいのなかで、昼食を摂りました。「これまで、男鹿に何十回も来たけど、いままで、なにを見ていたんだろ?」という感想がありました。ぼんやりと、風景を眺めていたのですね。
きょうの勉強で、みんな、賢そうな顔になっています。
グリーンタフの
あざやかな緑
椿漁港のすぐ西の館山崎に降ります。二千万年ほど前の火山活動によって生まれたグリーンタフ(緑色凝灰岩)が間近に見られました。
ついで、塩瀬ノ岬でも降りて、火山礫凝灰岩と玄武岩の岩床、岩脈が大古の火山活動のすさまじさを物語ってくれます。ゴジラ岩の前で写真を撮りました。
門前・長楽寺そばの駐車場で小憩。
休憩中、駐車場奥にある「男鹿屏風絵」について、夏井興一さんから説明を聞きました。この屏風絵は信楽焼でできており、一六二〇年ごろの男鹿半島を描いたものだそうです。いまは下刈されず見えなくなっている見事な滝や舞台島の芝居の様子などが描かれていました。
五千三百万年まえの
岩石・入道崎
西海岸の大桟橋、白糸の滝、加茂青砂、金ガ崎などの説明などを聞きながら、戸賀湾を経て、入道崎に着きました。
これまで、入道崎というと、「北緯40度」、入道崎灯台などが見どころだと思っていたのに、地質学的にもたいへんに重要な所なのでした。
海底透視船発着所まで降りて、藤本さんから、まだ日本列島がユーラシア大陸の縁であったころの、五千万年以上前の岩石を教えられます。この重い石が、男鹿の石焼き料理に使われるのだとも知らされました。岩石の磁気によって、その生成年代や大地の動きが知れるとは驚きでした。
もっとも古い
「土台石」(基盤岩)
入道崎から、すこし南にもどって、男鹿半島で一番古い(九千二百万年前)といわれる「基盤岩」を見ました。ピンク色の花崗岩でした。この岩のまわりを黒い岩が取り巻き、さらに玄武岩の岩脈がこれらを貫きます。その階段状の縞は「鬼のたっこ」(鬼の俵ころがし)というそうです。波打ち際まで降りて、一億年近くむかしの岩に触れてみたいなあと思いました。
一の目潟、
二の目潟を見る
車中からですが、爆烈火口(マール)である一の目潟、二の目潟を見ました。三の目潟は、車道からは見えませんでした。水とマグマが接触して、水蒸気爆発を起こしてできた円形火口です。一の目潟は約六万年前、三の目潟は約二万年前の形成かといわれます。藤本さんが、火口付近から採取したマントルカンラン岩(オリビンの塊り)が回されました。
一の目潟の水深45メートルの湖底をボーリングして、堆積物を抜き取る調査がおこなわれました。湖底の堆積物は、一年ごとにしま模様になっていて、「年縞」と呼ばれます。この調査結果の解明は、きわめて重要だとされます。
帰着、雨が降ってくる!
男鹿からの案内人夏井興一さん、伊藤初男さん夫妻とお別れして、そのあと各地で参加者が下車し、十七時前に、秋田駅東口に帰着しました。とても、勉強になった一日でした。今後の登山でも、生かされることがたくさんあるだろうと思います。「もっと深く知りたい。来年にも、もいちど、地質フィールドワークをやってほしい」との要望もありました。
どうしたことか、バスが秋田駅に着くころ、雨が降ってきました。夜になると、雷鳴がとどろきました。
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一の目潟の文で「火口付近から採取したマントルカンラン岩(オリビンの塊り)が回されました。」とありますが、このオリビンは、水深45メートルの湖底をボーリングして採集されたものですか。一の目潟湖面の周辺では採集できますか。
出来ればメールアドレスに返信をお願いします。
投稿: | 2011年7月24日 (日) 16時52分