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2009年3月 5日 (木)

雪の、森吉山に登る!

Photo  二〇〇九年初めての月例山行は、「樹氷」の森吉山でした。
 二月二十五日(水)、七時四十五分に、五城目道の駅に、参加者三十二人が、元気いっぱいに集合しました。
 八時、阿仁スキー場に向けて、九台の車で出発します。阿仁の山々は、上部が雲に包まれていて、天気は、かならずしも楽観を許しません。

  わずか往復百円の ゴンドラ料金!

 八時四十分、阿仁スキー場着。ただちに、登山準備をします。瀬下翁悦さんのおかげで、阿仁スキー場のゴンドラ往復わずか百円とのこと。
Photo_3  九時四十分、ゴンドラ山頂駅着(1167m)。降雪。斎藤重一会長のあいさつ。体操。
 十時十分、雪を衝いて出発しました。第二ロマンスリフト上部駅そばで、全員の記念撮影をする。ガスと降雪で、ちゃんと写るのかなあ。

  樹氷は落ちて、 新規に製作中

 右側の雪屁に注意しながら、十時四十分、石森(1308m)に着きました。降雪。風はたいしたことはありません。雪の状況から判断して、「阿仁避難小屋」までいくよりも、前岳の「森吉山避難小屋」にいくほうがよいとの判断で、スキー隊がルートをつけることとしました。

 ことしは、 前岳の避難小屋へ

Photo_2  十一時、前岳の森吉山避難小屋(1290m)到着、すぐに、全班も到着、十一時半までに、小屋の二階から順次中に入って、ホッとしました。この前岳には、森吉神社もあり、ご神体の冠岩もあり、菅江真澄の歌碑もあるのですが、積雪、降雪のために見ることはできません。
 十二時三十分まで、昼食休憩。一階の広間に、それぞれ陣取って、たのしい昼食をとりました。
 十二時十五分、戸外に出て、下山の準備。写真撮影。降雪にまみれて、十二時五十分、ゴンドラ山頂駅に着きました。

  上は雪、下は雨

 十三時十分、全員が、ゴンドラ下部駅に着きました。こちらは、雨です。
 ただちに、阿仁前田の「クウインス森吉」に向かい、一日の汗を流しました。十五時過ぎ、高田博幹事長、斎藤重一会長のあいさつののち、この日の全日程を終えました。

 

  [補筆]

  阿仁スキー場の今後は?

Photo_4  私たちが、まい年利用してきた森吉山阿仁スキー場のゴンドラは、いま存亡の危機に瀕しています。
 秋田県総合発展計画の森吉山大型スキー場構想にもとづいて、一九八二年、秋田県、森吉町、阿仁町は、西武系「国土計画」にたいして、「進出要望書」を提出しました。翌八三年、「国土計画」は、この進出要請を正式に受諾して、国土計画堤義明社長も現地を訪れ、佐々木喜久治知事にスキー場までの道路整備などを求めました。当時、地元は、「過疎脱却をもたらす救世主」と大歓迎したといいます。
 森吉スキー場と阿仁スキー場を、山頂部連瀬スキー場で連結・開発するという「資本」の横暴にたいして、「森吉山山頂部をスキー場開発から守る会」(会長藤本英夫さん、事務局長宮野貞寿さん)が結成されました。これは、県内はもとより、全国的な支援のもとに活動をして、県立公園森吉山の自然をまもる活発な活動をつづけました。
 若者のスキー離れ、スキーの衰退とともに、営利会社「国土開発」は、森吉山からの撤退を決定しました。「救世主」とたたえられた「国土計画」は、山を壊したまま、消滅したのです。とても身勝手な、無責任なことです。
 これらのスキー場は、秋田内陸縦貫鉄道の存続ともふかくかかわりますから、旧阿仁町をかかえる北秋田市としても、きわめて深刻な課題となっています。
 私たち山楽会は、まい年の「樹氷登山」を続けるのか、ことしで終わりにするのかの瀬戸ぎわに立たされてもいます。ぜひとも、阿仁スキー場を維持してほしいものですね。

2009年3月 4日 (水)

登山に役立つ話(45)「自然保護問題と私たちの登山②」

 痛めつけられた山の自然

  自然をまもるためには、これまで、日本の山が、どんな壊されかたをしたのか、「自然破壊史」の復習がたいせつです。
 近代化とともに、自然は大きく変えられました。とくに、戦後の復興と高度成長による自然破壊は大規模でした。都市の拡大、道路、新幹線、空港などの建設、河川改修、堤防・ダム建設、海岸埋立て、干拓などがあげられます。
 山の自然も破壊されました。電源開発の名のもと、山奥に無数のダムと人造湖が出現しました。原生林を皆伐し、スギ、ヒノキを植林する「拡大造林政策」では、とくに、ブナ広葉樹林を壊滅しました。全国的に山岳観光有料道路がつくられて、山岳景観の核心を切りきざみました。さらに、大規模峰越林道(スーパー林道=全国23路線)の建設もありました。これに便乗して、スキー場、ゴルフ場の建設も、奥地化しました。リゾート法(1987年)施行にともない、ヒューマン・グリーン・プランなどの「国有林貸付け政策」まで登場しました。
 秋田県でも、各地での山岳観光道路、林道建設、さらに、一九七〇年代の鳥海山ゴンドラ建設計画、八〇年代の青秋林道建設計画など持ち上がり、行政と市民とのはげしい対立がおこりました。スキー場もいたるところに作られました。しかし、大湯、水晶山、森吉、乳頭、田沢高原、千畑などのスキー場が閉鎖し、自然破壊の跡だけが残っています。地域振興の美名に踊らされた結果です。

  山岳過剰利用
(オーバーユース)問題

 50年代には、日本マナスル隊の初登頂で登山ブームが起きました。
 山には、ゴミの散乱、踏みつけにともなう植生破壊の裸地化、野生動物への悪影響、登山道・山小屋の荒廃、水質汚染などが大問題となりました。
 いま、「百名山」ブーム、「ツアー登山」流行、高齢者の登山ブームなどで山はにぎわっています。山の過剰利用ということでは、50年代のブームといっしょです。それだけに、私たちの、山岳利用と自然保護のバランスをどうとるのかが、たいへんに重要な問題となります。
 山楽会の月例登山のように、ほぼ四十人もの大人数の登山隊を編成するときには、自然との折り合いを、どうつけるかがとてもだいじになります。次回は、このことについての具体的な提案をします。

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