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2008年12月29日 (月)

登山に役立つ話(43)「鳥海山のこと、さらに追加」

 鳥海山中の県境の不当さ

 旧藩時から国境は、山の稜線、川などに引かれてきました。分水嶺ということばがあるように、稜線のこちらが「おらの国」で、あちらが「よその国」でした。ところが、鳥海山では、これが通用しません。鳥海山の頂上周辺主要部はすべて山形県です。新山、七高山、荒神岳、扇子森も、みんな山形県!仁賀保の人たちが平家山、平家森と親しんできた稲倉岳頂上まで山形県になっています。
 どうして、こんな情けないことになったのか。怒りをこめて書きます。

 鳥海山には、[秋田]矢島、院内、小滝、滝沢、[山形]吹浦、蕨岡、杉沢などの修験道がありました。ふもとは、分かれていても、鳥海山頂には、大物忌神・薬師如来が、神仏習合で祀られました。
 ふもとの修験たちは、たがいに、「おれたちが正当だ」と争います。鳥海山麓の修験道が、真言・天台、当山派・本山派、逆峰・順峰に入り交じっていたことも争いの原因にもなりました。はじめ、明暦年間(1655年)に、吹浦と蕨岡の修験道が争いました。出羽一の宮の吹浦・大物忌神社の奥宮争いです。
 
 その四十余年後(1703年・元禄16)、矢島修験が、蕨岡修験を相手どって訴訟を起こしました。鳥海山頂の境界決定、頂上奥宮交替改築(二十年ごと)などにつき、江戸の寺社奉行は、徹底的に蕨岡寄りの判決を下しました。
 これは、係争内容の吟味よりも、両修験の後ろ盾の差が、不当な結果を招いたといいます。矢島は、わずか一万石の外様生駒、蕨岡は、譜代四天王といわれた庄内十四万石酒井。勝ち目のない訴訟をした矢島では、訴訟責任者の自害など、悲惨なことが相次ぎました。

 なによりも悲惨なのは、このときの鳥海山大物忌神宮神域の線引きが、維新後の秋田・山形両県の県境となったことです。戊辰戦争では、秋田・佐竹藩、矢島・生駒藩は官軍、庄内・酒井藩は賊軍だったのだから、せめて、県境決定のときに、県境が新山、七高山を通るようにすべきでした。
 どうして、秋田県人は、いつも人がいいのでしょうか?
 

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