« 2008年5月 | トップページ | 2008年9月 »

2008年7月22日 (火)

遠征登山「岩手山」

Photo  第一日目[七月九日]

 ことしの県外遠征登山は、七月九日・十日の二日間、岩手山に登りました。これには、年金者組合県本部も共催し、バスの補助席いっぱいの六支部五十六人が参加をしました。
 岩手山は、昨年末の山楽会員のアンケートでは、登山希望者が、二十六人も集中した期待の山です。
 七月上・中旬は梅雨時ですので、天気を心配しましたが、参加者の熱気で好天を引き寄せて、全日程を、ほぼ予定通りに終えることができました。

 バスのなかから、登る気満々!

 男鹿を早朝に出発したバスは、参加者をつぎつぎに乗車させながら、秋田駅東口には五時二十分に到着し、ここで大人数の参加者を乗せ、五時三十分に、岩手県に向かって出発しました。
 お天気は曇りです。R13を走るバスの左窓から、太平山がすっきりと見えています。予報では、「きょうは曇りときどき晴れ、あす十日は曇りか雨」とあります。
 道の駅「協和」、田沢湖駅(七時十分)で、途中乗車のみなさんを乗せて、バスは、仙岩峠を越えて岩手県に入りました。いまにも雨が降りだしそうな厚い雲でした。
 斎藤リーダーから、岩手火山についての話がありました。岩手県出身の石川啄木、宮沢賢治などの詩歌も紹介されました。とくに、賢治の『春と修羅』のなかの長詩「東岩手火山」は、山頂薬師岳でのご来光を拝したときのもので、私たちも同じ体験のできることが期待されました。
 盛岡ICから東北自動車道に乗り、西根ICで降り、ここで鹿角、大館の三人のなかまが合流し、これで全参加者五十六人が顔をそろえました。
 R282から東北自然道に入ったら、突然、岩手山頂が雲のあいだから望まれました。「おお、これはいい天気だ!」と車内に歓声があがりました。
 焼走り国際交流村の駐車場(標高570m)には、八時三十分に到着しました。 早速、登山準備です。班編成、リーダーからのあいさつ、焼走り熔岩流前での記念写真、準備体操の後、九時二十分に、岩手山頂をめざして、全員元気いっぱいに出発しました。Photo_11

   焼走り熔岩流の大きさに驚く

Photo_2  登山道は、熔岩流の右側を登っていきます。十一時、小憩。林の左側は、依然として焼走り熔岩流です。ナラ類を主体にした明るい林がつづきます。足元には、トリアシショウマ、ハクサンチドリ、ミヤマハンショウヅルなどの花が咲いています。ハクサンシャクナゲも盛りでした。第二噴出口(1100m)には、十一時四十分に着きました。長い熔岩流を展望します。
 第一噴出口(1251m)は、十二時着。十三時までの昼食休憩です。噴出口展望台を過ぎると、まもなく、いよいよ期待のコマクサの大群落です。 堆積した火山弾の斜面は、コマクサが花盛りでした。コマクサの間には、キバナノコマノツメもいっぱいです。Photo_12
 宮沢賢治の詩『熔岩流』冒頭の一節が、思い出されました。

 喪神のしろいかがみが
 薬師火口のいただきにか かり
 日かげになった火山礫堆 の中腹から
 畏るべくかなしむべき
 砕塊熔岩の黒

 上坊神社からの登山道と合流するツルハシ(1450m)は、十三時四十分に通過しました。シラネアオイ、カラマツソウ、サンカヨウ、ミヤマキンバイ、タカネアオヤギソウ、マイヅルソウ、ツマトリソウなどの花々がいっぱい咲いていました。

  屏風尾根の起点、平笠不動

 十五時、平笠不動避難小屋(1730m)に着きました。Photo_3 しばらく、ゆっくりと休み、救護のみなさんの到着を待ちます。キビタキ、カッコウの声が聞こえました。ちょっとハスキーなホシガラスの声もします。救護班と入れ違いに、十五時三十分、頂上へ向けて出発です。ほぼ、直登にちかい形で頂上外輪の稜線をめざします。イワカガミも咲いています。薄日が射してきて、暑さもきついのですが、涼しい風が吹いてくれて助かります。コケモモが花盛り、ウコンウツギが黄色っぽい白い花をいっぱい咲かせていました。かつて、山楽会で、大雪山縦走をしたときのことを思い出しました。

 ついに、岩手山頂に立つ!Photo_6

 外輪稜線に近づくと、白くイワウメが咲いています。頂上(2038m)、十六時二十分、記念写真、予定よりすこし遅れています。涼風で、すこし寒いくらいです。ザックのデポ地点までもどって、また記念写真。11_2 Photo_7 斎藤重一リーダーから、東岩手火山の説明、外輪山、薬師岳、妙高山など。このあたり、イワブクロは、まだ咲き初めでした。

 八合目小屋での、たのしい夕食
 火山砂に足を取られないように注

意しながら、宿泊予定の岩手山八合目避難小屋へ急ぎます。 九合目・不動平避難小屋(1828m)の横を通過します。道の両側は、オオバキスミレの大群落が満開でした。まだ、雪消えまもないのでしょう。ヤマオダマキの花も見られました。Photo_10
 十七時三十分、全員が元気に八合目避難小屋(1780m)に到着しました。ミーティング、整理体操、あすの予定伝達の後、小屋内の場所を確保してから、屋外のベンチを使ってたのしい夕食。お成り清水の豊富な湧き水で助かります。
 二十時消灯。0時、戸外へ出たら、一面の星空でした。ご来光が楽しみ。

  第二日目[七月十日]

御来迎は、はずかしがって     お顔をみせない?
 早朝の二時過ぎから、きょうの行動準備です。小屋の管理人にも激励されて、三時、星も見えない、まだ真っ暗ななかを出発しました。各班ごとの、長い長いランプの行列が続きます。三時二十分、不動平避難小屋到着、ここにザックをデポして、ご来光を拝みに、薬師岳に向かいます。なお、きょう一日のきつい登山を考慮して、十人のみなさんが、登頂を自重しました。内田眞佐博サブリーダーが責任者となり、阿部守さんが通信を担当してくれました。
 四時ちかくなって、照明は不要になりました。外輪山に着き、石仏、石祠に沿いながらすすみ、薬師岳には四時十五分に到着しました。すっかり明るくなって、近くでイワヒバリが鳴きだしています。しかし、東の空は、厚い雲、雲海に閉ざされて、お日さまには会えませんでした。とても残念でした。
Photo_9  そこで外輪稜(御鉢)を一回りしました。コマクサ、イワブクロが目立ちます。中央火口丘の妙高山、その裾の岩手山神社を見ます。この神社は、下の柳沢登山口の岩手山神社の奥宮らしく、祭神は岩鷲山大権現だといいます。四時五十分、不動平に戻りました。六時まで、朝食とします。二日目の食事ですから、各グループのいろいろに工夫を凝らした食事風景が見られました。

西岩手山カルデラに下る

 六時、いよいよ西岩手山カルデラ、お花畑へ向かいます。雨が降ってきて、雨具の上下を着ます。入り口を勘違いして、二十分ほどのロスをしました。
 ウコンウツギが咲き、コケモモも可憐な花を咲かせています。雪解けまもない場所には、サンカヨウの白い花、ベニバナイチヤクソウも見られました。モミジカラマツ、ベニバナイチゴ、ツマトリソウ。
 雨はすぐに止んで、雨具は不要となりました。一時間半ちかくかかって高層湿原であるお花畑(八ツ目=谷地眼湿原・1500m)の木道に、八時に着きました。標高差にして約三百五十メートルの下りでした。不動平からの急斜面の悪路に比して、木道の歩きいいこと。
 いちめんのチングルマは、花が終わって実になっていました。目立つのは、ハクサンチドリ、ヨツバシオガマなどです。満開のウラジロヨウラクの花の間を抜けて、御釜湖、御苗代湖を見にいきました。成田伸世サブリーダーから説明を聞きました。
 いまの東岩手山が形成される前、二十万年ほど前には、西岩手山の西南端の黒倉山と屏風岳とは外輪山で結ばれていて、御釜、御苗代などははるか水面下に没する一大天水をたたえた西岩手カルデラ湖が、この山頂にあっただろうといわれています。このカルデラ湖は、約六千年前に東に大崩壊を起こしたといわれます。 お花畑を、八時二十分、出発。

   地獄谷を眼下に見る

 大地獄谷を真下に見る開けた台地に立って小憩しました。ハクサンチドリなどの赤紫の花のなかに、イソツツジ、マルバシモツケの白い花も見られます。ここからは、切通しを経る網張への縦走路と、大地獄谷を下りて県民の森への道の分岐になっています。大きなダケカンバが、幾本も枯死しています。火山活動と関係があるのでしょうか。
 薄日のさすよい天気になってきました。大汗をかいて、切通し(1500m)に九時十五分に着きました。ここは、笹小屋跡ともいいます。鬼ガ城からの道と合流します。道標には、網張まで「あと六・四キロ」とあり、まだだいぶあるなあとため息をつきます。黒倉山(1570m)は南側のまき道を通ります。10 やがて、オオシラビソとダケカンバの林から解放されて、黒倉山・姥倉山の広く開けた鞍部の黒倉山分岐(1459m)に出て小憩です。二人ほど遅れている人が出て、救護のみなさんがご苦労しています。姥倉山(1517m)の手前で姥倉分岐です。かつて火山噴火に備えた登山禁止当時(一九九八年から)の機器、センサーなどが置かれているところで、斎藤リーダーから説明がありました。このときの火山噴火予測では、とくに、大地獄谷、黒倉山、姥倉山一帯が危ないとされました。地熱が上がったために、ハイマツなどの白骨化した姿が可愛想です。

 最後の長く、つらい下り

 犬倉山(1408m)へむけて、またオオシラビソの樹林帯を抜けることになります。途中の水場で小憩。冷たい新鮮な水が、生き返らせてくれます。三ツ石分岐手前で珍しく二人の女性登山者に会いました。十一時三十分、左に折れると、十一時四十五分、兎平・犬倉(1300m)リフトの終点に着きました。小憩。五班班長荻原輝男さんが、休暇村網張との連絡のために先行しました。ご苦労さまです。
 あとは、網張スキー場のスロープにつけられた踏み跡をたどる網張温泉への下りです。冬のスキーだったら、「十分もあれば滑り終わるのになあ」とためいきです。
 朝の三時から歩きづめのみなさんにとって、陽のあたる、傾斜の急な、暑い斜面は、最後の試練の場となりました。犬倉までのリフトは、第三リフトですから、休暇村までは一時間ちかくかかりました。見えていて、なかなか着けない、残酷な下り!
 各班、ほぼ十三時には、バスに到着しました。

ありがたかった温泉、昼食!

 網張温泉「休暇村岩手」の駐車場には、わが男鹿観光バスが待っていてくれました。靴を履き替え、早速お風呂です。網張温泉は、昨年の三ツ石登山以来のおなじみです。
 約千三百年前、和銅年間に開湯という白濁の湯は、かつて帝釈温泉ともいわれていました。むかしから、雫石の人たちは、この網張の源泉を神聖畏怖すること甚だしく、入浴をも恐れて「網を張って」遮蔽したそうです。
 私たちが入ったときは、四十三度もの熱さでした。水で温くしてもらいます。
 大広間には、豪勢な昼食が準備されていました。救護グループの五人は、まだ未到着ですが、ご苦労さん会の「練習」を始めることにします。たいへんに難儀な二日間だっただけに、大きな成就感にみたされます。小林英三サブリーダーから、救護グループのみなさんの到着も知らされ、みんな拍手で大喜びです。
 ここから、盛岡を通って帰る鹿角、大館のみなさんから、感想発表をしてもらいます。斎藤リーダーからも、あいさつがありました。

  帰りのバスのなかでの感想発表、 とてもなごやかに!

  十六時二十分、バスは帰途につきました。一人一人から、二日間の登山の感想を話してもらいます。とてもなごやかな、たのしい話に、「ああ、今回もいい登山だったなあ」との思いでした。道の駅「雫石あねこ」で小憩。田沢湖駅で、北秋田のお二人が下車。道の駅「協和」で小憩。羽後境で佐藤征子さん下車、茨島組下車、みんな拍手して別れを惜しみます。
 十九時、秋田駅東口に到着。みんなで別れを惜しみます。
 バスは男鹿まで帰っていきました。12 13 14 152

登山に役立つ話38 (「登山講座改題)

 G8サミットと登山

 北海道洞爺湖での、G8サミット(主要国首脳会議)が終わりました。はじめ、このG8では、地球の脱温暖化が、最大かつ唯一のテーマとされていましたが、原油高による穀物高騰、温暖化・旱魃の被害にからむ「食糧ショック」によって、焦点がかすんでしまいました。
 ホスト国日本の福田政権の脱温暖化政策は、環境NGOから、「温暖化防止の妨害者」と批判までされる始末でした。二〇二〇年までの「中期目標」も持てないいい加減さですから、「世界全体の温室効果ガス排出を50年までに半減する」との昨年のG8の合意は、暗雲に閉ざされたままです。
 いま急速にすすんでいる地球温暖化は、私たちにとって、目に見える形ですすんでいます。北極、南極地方の氷河の溶解・縮小だけでなく、中緯度の山岳の氷河の縮小も歴然としてきました。夏のモンスーン期に雪が降って氷河をつくっていたヒマラヤの高所には、雨が降って氷河が縮まり、かわりに恐ろしい氷河湖が出現し、拡大しています。
 ヒマラヤ、アルプスだけではありません。近年は、鳥海山、岩手山などの夏の雪渓も、縮小したり消滅したりしています。中部山岳地帯も同様です。当然、雪渓のまわりに生育する高山植物の生態系にも、重大な影響を招きます。
 日本のブナ原生林は、九州大隅半島の高隈山地から、北海道渡島半島の黒松内まで分布します。なかでも、秋田・青森の白神山地のブナ原生林は見事で世界遺産になりました。しかし、地球の温暖化がこのまますすめば、この白神山地のブナ原生林も、早晩に消滅するだろうといいます。ブナは、温暖化を逃れて、北方と高地に逃げるしかありません。かつて、氷河期以降のブナ原生林の拡大は、一万年以上もかけてゆっくりと北上しました。しかし、こんどは、五十年、百年のきわめて短年月での「移動」ですから、ブナは「枯死」するしかありません。多くの高山植物も同様です。
 ブナ林もない、高山植物もない登山を考えてみてください。地球温暖化問題は、はるかに離れたホッキョクグマの消滅の問題だけではありません。このごろは、大雨、旱魃、台風、降雪などにも、鋭敏に反応しなくてはならなくなっています。
 そして、大資本やアメリカのご機嫌うかがいだけで、独自の環境政策もつくれない政府を変えなくてはなりません。「登山家=山楽会」にも、なすべきことがいっぱいありますね。       (S)

2008年7月 5日 (土)

神室山

Photo  六月の月例登山は、6月2日(月)、秋田・山形県境の栗駒国定公園神室山景観区内の神室山登山でした。この急峻な山域の主峰神室山は、秋田県側からは「鏑山」とも呼ばれて、古くから、麓の村々からは、田の神、水の神として敬われてきました。
 蝦夷悪路王(アテルイ・阿弖流為)という族長を、征夷大将軍坂上田村麻呂が、神室山頂に追いつめて鏑矢で射止め、これが山名となったとの説があります。悪路王の首は山の東、鳴子へ飛んで、そこが「鬼首」の地名になったともいいます。 数日来の悪天候で心配されましたが、きれいな初夏の日ざしのもとで登山でき、参加者三十一人は、神室山のすばらしい大自然に触れてきました。
 わが山楽会には、これまでも神室山登山の希望がたくさんありましたが、すこしコースがきついということで、いままで実現しないでいました。
Photo_2  今回の登山では、大館支部川又清さん、能代支部菊地篤さんたちの特別参加もあって、みなさん、元気いっぱいに、にぎやかに登山ができました。

 [西ノ又沢の難所を、元気よく通過]

 未明四時ごろに、それぞれ八台の車で、秋田を出発しました。秋田自動車道を南下して、西仙北SAに、四時三十分、集合しました。横堀の雄勝こまちICで自動車道を降りて、道の駅「雄勝」で小憩をとりました。このころには、心配された上空の雲も薄くなり、青空がのぞいてきました。
 役内川ぞいのR108(仙秋ライン)に入り、さらに大役内林道から、壊れかけた大鳥居を通って、西ノ又沢林道に入りました。登山口430m着、六時三十分、晴れ。登山準備、班編成、準備体操。六時四十分、一班を先頭にして、元気よく出発しました。
 六時五十分、一の渡吊り橋にかかりました。すこし右に傾しがっています。隊の間隔をあけて渡ります。七時十分、二の渡吊り橋です。こちらは右岸から左岸に渡るにつれ、上り坂になっています。
 沢の左岸をトラバースすることが多いので、左手の崖に気を使いました。ホウノキの大きな白い花がみごとに咲いていますが、とても見とれてはいられません。雪消えまもない斜面には、ウド、ほんな、あいこ、みずなど。
Photo_3  気の許せない悪路がつづきます。西ノ又沢に落ちこむ小沢の残雪を数回トラバースします。ウグイスの声がしきりにします。
 左前に大滝が見えてくるとまもなく西ノ又沢渡渉点750mです。七時四十分、沢を覆う残雪を渡ってから小憩します。八時十分、晴れ、最後の水場、不動明王通過、いよいよこの先が、標高差四百七十メートルもある胸突き八丁です。
Photo_4  高度を増すにつれ、花々が咲き競うようになります。頭の上には、タムシバ、オオカメノキ、ムラサキヤシオ、足元にはシラネアオイ、ショウジョウバカマ、ツバメオモト、ミツバオウレン、ノウゴイチゴなどがみごとです。標高千メートルを超えたあたりからのカタクリの群生が、きれいな花を見せてくれ、みな歓声をあげました。
 十時五十分、御田の神1230m着、晴れ。朝早かったので、ここで、五十分間の昼食休憩です。湿原に、ヒナザクラがいっぱい咲いています。気温も高くなったせいか、ブヨの大群の集まるのが気になりますが、こいつらも「地球のお友だち」だと思うことにします。 

[稜線に咲く花々に目を奪われる]

 二つの大きな残雪を登って、十二時、西ノ又沢分岐(前神室山分岐)1325m通過、神室山1365m山頂へは十二時二十五分に到着しました。晴れ。
Photo_5  山頂からは、山形県側の最上山域の天狗森1302m、小又山1367m、火打岳1238m、大鏑山1120m、小鏑山(禿岳)1262mが望まれました。秋田・山形県境稜線には、東に軍沢岳1184m、西に前神室山1342mが望まれました。また、北には、高松岳1348m、山伏岳 1315mが、その右には栗駒山1628mが大きな姿を横たえています。
 神室連峰は、奥羽脊梁中央部の西に位置して、北の水晶森から南の杢蔵山1027mまで二〇キロもあり、みちのくの小アルプスとも呼ばれる、東北一の痩せ尾根です。とくに、東面の切れ落ちた急斜面が、高度感をもたらしてくれます。今度の神室山は、山ひだに多くの残雪をのこして、それが新緑の緑と映えて、とてもすばらしい景色でした。ふかい谷のかなたから、カッコウとツツドリの声がしました。Photo_8
 頂上での記念写真後、十二時四十分、△1325mに戻ります。ここで、班長会議を開きました。西ノ又沢の下降は、難場での危険が多いので、前神室山経由の、いわゆるパノラマコースを降りることにしたらどうかとの相談でした。天気も良いし、花もきれいなので、すこし距離はのびても、安全に前神室山経由で下ろうと決定しました。 
Photo_6  稜線の花、ミネザクラ、ムラサキヤシオ、タムシバ、シラネアオイ、ツバメオモト、ミツバオウレン、イワカガミ、ミヤマキンバイ、カタクリなどが私たちを迎えてくれました。有屋口分岐十三時十分、通過、晴れ。まだ真っ白な鳥海山の大きな姿も、靄のなかにうっすらと望まれました。「鳥海山は高いなあ、大きいなあ」との嘆声がもれます。鳥海山と、神室山と東鳥海山とは三姉妹だとの伝説のあることが思い出されました。Photo_9
 最低鞍部をすぎて、高度差百メートルの登り返しです。水晶森分岐十三時五十分通過、前神室山十四時着、晴れ。
Photo_7  三百六十度の展望です。高松岳、虎毛山のあいだに、大きな栗駒山。小憩、狭い頂上で、全員の集合写真撮影。             
 尾根道の登り下りをくりかえしながら、新緑のブナ林のなかに入り、高度をどんどん下げます。懴悔坂の大下りを、十四時五十分に終わりました。チシマザサのタケノコを目ざとく見つけ、十分に採集した人もいました。「登山口まであと千メートル」との道標付近で小憩。十六時四十五分、西ノ又登り口に全員が到着しました。整理体操。
  役内の部落あたり後ろをふりかえると、まだ雪の残る神室山、前神室山が、きれいに望まれました。よい天気でしあわせでした。

[秘湯湯ノ沢で汗を流す]

 汗流しは、「秘湯小町の隠れ宿」湯ノ沢温泉「日勝館」(日露戦争勝利記念の命名、だいぶ古い話です)でした。R13を南下してから左折三キロの先にある、ただ一軒の「美人の湯」です。住所は、下院内湯の沢国有林とありました。ここは、烏帽子山登山口にもなっているようです。ちょっと狭いながらも、きれいな弱アルカリの透明ないい湯、ゆるめ四十度の板風呂でした。前を流れる川では、夏になると河鹿が鳴くそうです。
 外の駐車場で、最後のミーティングをしました。この後の「秋田駒ガ岳」、七月の「岩手山」にも、みなさんが積極的に参加するよう、斎藤重一リーダーから要請があり、また、数日後の秋田県内での原水爆禁止国民平和大行進への参加も要請しました。十八時、また八台の車に分乗して、家路につきました。

登山に役立つ話37 (「登山講座改題)

 山の樹木を知ろう!(2)

 秋田の里山を代表するのはスギ林です。集落に近い山の斜面を、皆伐して焼いて(焼き畑として数年利用もして)、スギ苗を植えます。初めのうちは、苗をまもるために、下刈りをし、雪害の防ぎと、たいへんな手間をかけます。さらに、枝打ち、間伐です。
 しかし、国内産木材価格の下落や、林業後継者不足などのために、山には人手も金もかけなくなり、秋田の多くのスギ林が荒廃しています。
 奥山は、ブナ林です。約八千年前には、九州大隅半島高隈山地から北海道渡島半島黒松内まで、ブナが分布しました。とくに、日本海側の積雪地帯には、極相林としてのブナ林が広がりました。そのみごとな林の代表が、奥羽山脈西側や、出羽丘陵や、白神山地のブナ林なのです。
 人工のスギ林と違って、ブナ林は、ブナだけが単独で生えているわけではありません。新緑や紅葉の時期、ブナ林は、実に多彩な色、色で燃えあがります。色数だけ、無数の樹種がいり混じっているのです。
 湿りの多い沢近いブナ林には、ハンノキ、サワグルミ、トチノキ、カツラ、ドロノキ、ホオノキ、ハルニレ、タムシバなどが混じりあいます。尾根すじにちかい乾燥したブナ林には、ミズナラ、オオヤマザクラ、シナノキ、ハウチワカエデ、イタヤカエデなどが混じります。また、クロベ、キタゴヨウ、アスナロなどとも混じります。高度が上がり、森林限界に近づくとブナは灌木化し、オオシラビソやダケカンバなどとも混じります。
 ブナ林には多彩な中・低木が広がります。コシアブラ、ウワミズザクラ、オオバクロモジ、ムラサキヤシオ、ヒメアオキ、オオカメノキ、キブシ、マルバマンサク、ユキツバキ、タニウツギ、エゾアジサイ、エゾユズリハ、イヌガヤ、ハイイヌツゲ、チシマザサなどです。
 先日の神室山登山で見たように、ブナ林の林中、林縁の草々、花々も多彩です。当然、そこに住む動植物も、多様で、興味ぶかいものとなります。ここで書く紙面の余裕はありませんので、手に入れやすい本を紹介します。

 [西口親雄著『ブナの森を楽しむ』(岩波新書)]
 [池内 紀著『森の紳士録』(岩波新書)]
 [平野伸明著・野沢耕治写真『ブナの森は宝の山』(福音館書店)]

« 2008年5月 | トップページ | 2008年9月 »

2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のトラックバック